前書き
未だに頭から離れないことがある。それは2年以上にわたり公園の池から鯉が一匹残らず消えてしまったこと。
私がメモした事実は次の通り、2006年春毎年この時期現れるはずの鯉が見えない。異常を感じたので新聞社にメールで知らせると5月8日に担当記者から関係機関等に取材を開始したとの返信が来た。
約2週間後の5月24日、記者から2通目のメールを受けた。鯉は見られないので取材を続けたが原因は分からないとのこと。しばらくして電話があった。「実際に鯉の死骸を見た人が居たら教えて欲しい」と。
それから20日後の6月14日、「大量の死骸を処分するのを見た」という人を見つけたので、記者にメールで知らせたが返信なし。何度も電話をかけたが不在ということで本人と連絡をとることが出来なかった。
その後、池の鯉を見ることは一度もなく2年経過した。その間少なくとも千回くらいは注意して池を見たと思う。2年後の2008年6月23日の朝、池の西端で約10匹の鯉を発見。午後にもう一度見に行くと朝と同じ場所に鯉が泳いでいた。その場からほとんど動かない。
実に不思議な出来事で疑問が尽きない。これらの事実の隙間を私の想像を膨らませて埋めてみた。事実とはいえないので小説とした。
小説:消えた鯉 〜突然消えた100匹の鯉〜
事件はこうして始まった。北国市北国公園のアヤメ池で、大量の鯉が突然消えた。何故だろう? 原因はおろか「いつ消えたのか」さえ分からない。ある日突然いないことに気がついたのだ。以後2年間、この池で鯉の姿を見ることはなかった。
以前は、そこらじゅうで泳いでいた鯉が突然パッと消えたのである。当局からの発表もなければマスコミ報道もない。こんなことがあっていいのだろうか。
北国市アヤメ池に鯉が初めて放されたのは明治23年(1890年)のことである。それから116年たった2006年の春、凍結が融けてみると池の中の鯉が、一匹残らず消えてしまっていた。
春になると表面に張っていた氷が融け、水温が徐々に上がると、池の底に眠っていた鯉が目を覚まし泳ぎ始める。この時期になると、春の陽気に誘われるようにして、公園を散歩する人たちも次第に増えてくる。
デジカメで池に向って写真を撮っていると、見知らぬオバさんに声をかけられた。
「鯉が見えないでしょ。みんな死んじゃったのよ。工事で水を止めたから酸欠をおこして死んじゃったの。子供たちが池の主といっていた大きな鯉が、一匹残らず死んじゃったのよ。悲しいよね」
おばさんは怒っていたが、私は信じられなかった。
「そんなことないでしょう。地下鉄工事で池の水を抜いた時だって、鯉は養鯉業者に預けていたんですよ。酸欠を起こす前に何処かに預けるでしょ。ここの鯉は昔から大切にされてきたのです。心配ないですよ」
とは言ったものの、気になって池のまわりを鯉を探しながら歩いたが、一匹の鯉も見つけられなかった。ボート小屋のおじさんに聞くと、「寒いからまだ、池の底に潜っているのだろう」と気にする様子もない。何か変だ。
既に、温かくなっている。鯉が泳ぎだすほどの水温になっているのだ。何か胡散臭い。おじさんが横を向きながら話しているのも気になった。
10人以上の「散歩の常連さん」に聞いてみたが、見た人は誰もいなかった。中には「私はウオーキングに専念しているから、池なんか見てないよ」という人もいたが、大部分の人は「不思議だ」と言って、首を傾げていた。
いろいろ調べたが池に鯉がいないことがハッキリしたので、新聞社に知らせた。さっそくC記者が取材に動いた。素早い対応に問題の深刻さを感じた。しばらくして電話が来た。
「公園事務所や北国市公園課を取材したのですが、おかしいですね。まったく関心がないのですよ。住民も、なぜ騒がないのでしょうね。100年間続いた環境が破壊される可能性だってあるんですよ。原因が分からないのですからね!」
着任早々、この事件に遭遇した記者は義憤を感じているようだ。特に、公園関係者や北国市住民の無関心ぶりには呆れているようだった。
「関心があっても、マスコミが取り上げてくれなきゃ、どうにもならんでしょ。何とかして下さいよ」
「公園事務所では池は関係ないと言うんですよ。公園の中の池ですよ。そんなことってあるんですかねぇ。取材に行っても何もないの一点張り、取り付く島もないんです。ともかく、現場を見た人がいなけりゃ話にならんですよ。見つけてくれたら徹底的にやりますよ!」
少なくとも100匹以上はいただろう。鯉がこんなに沢山一度に死んだのなら、死骸を見た人や死骸を片付ける現場を見た人がいるはずだ。魔法じゃあるまいし、パッと消えるはずがない。何とかして「証人」を見つけたいと思った。オバさんは現場を見たと言っていたが、会うことはできなかった。鯉のいない公園に愛想をつかしたのかもしれない。
2週間一生懸命探したが、現場を見た人にも死骸を見た人にも会えなかった。まったく不思議なことがあるものだ。大量の鯉が一匹残らず、誰にも知られずに消えてしまった。こんな不思議なことはない。この謎は絶対に解いてやろうと決意を新たにした。
木曜夜の8時は、私が担当するラジオ番組の放送日である。北国公園を話題とした1時間番組だ。当然、この夜は「消えた鯉」の話題が中心となった。
考えてみれば、鯉が消える筈はない。死んだと思うのが普通だ。
「B池で鯉の死骸を見た人はいませんか?」
と呼びかけたが、残念ながら目撃情報は得られなかった。
なぜだろう? 疑惑はますます深まって行く。
放送が終わると「のどかわいたね」と言ってゲストさんと二人でビールを飲みに行った。話も弾み時間を忘れ、帰りが少し遅くなった。家に帰ると妻が怒っていた。
「あんた、何処に行ってたの! 新聞社から何回も電話がかかって大変だったのよ」
11時過ぎたばかりだが、早寝の妻にとっては真夜中だ。寝ばなを起こされて機嫌が悪い。しかし、何の電話だろう? 何か圧力のようなものを感じた。捉えようのない不安を覚え、なかなか寝付けなかった。
寝不足の朝を迎えた。不安を解消するには、「行動」しかない。C記者にコンタクトをとろうと新聞社に電話したが不在だった。帰ったら電話してくれるように頼んで切ったが、その後連絡はなかった。メールを送っても返事は来ない。こんなことは初めてだ。
今までは彼が積極的に動いて、私は協力する立場だった。一体何が彼を変えたのか? 解せないことばかりだ。ともかく、大量の鯉の死骸を見た「証人」を探すのが先決だ。記者と連絡が取れても「証人」がいなくては、記事にすることはできない。
三日間必死に探して、やっと「証人」を見つけることができた。
「鯉は100歳まで生きるといわれているんだよ。でっかい死骸がゴロゴロしてたぞ! 何でこんな北国公園始まって以来の大事件が新聞にもでないんだ」
おじさんは怒っていた。D新聞に電話をかけたが、何の反応もないと言う。
「差し支えなければ電話番号を教えて下さい。D新聞社のC記者がこの事件の担当です。お宅に連絡させますから、今いったことを話して下さい」
おじさんは喜んで電話番号を私の手帳に書いてくれた。
「これにて一件落着」という気分で、意気揚々として新聞社に電話した。C記者はなぜかつかまらない。
メールを何回も出して「証人」を見つけたことを伝えたが、返事がない。一体どうしたことだ! C記者は20代の駆け出しだ。上からの圧力がかかったのかも知れない。しかし、なぜそのようなことをする必要があるのだろうか。
記者は「『証人』を見つけてくれたら、徹底的にやる」と言いながら、なぜ連絡をしてこないのだろう。放送日の夜にかけてきた電話は一体何だったのだろうか? 謎は深まるばかりだ。
あれから2ヶ月たち季節は夏になっていた。北国公園をいつもブラブラして、いろいろな人と立ち話しているオジさんがいる。ちょっとやくざっぽい感じなので、仮に親分と呼ぶことにする。
私もときどき話すことがある。その日は北国公園での自殺の話をしてくれた。
「ここではな、毎年のように自殺があるんだ、今年も二人死んでいるんだ。日本庭園とボート小屋近くであったな。あんたは知らないと思うが、自殺は絶対に新聞にでないよ」
「新聞に載らない話はもう一つありますよ。アヤメ池での鯉の全滅です」と言って、一部始終を話しはじめると、親分の表情がみるみる険しくなって行った。ああ、言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。しかけたものは途中で止められない。
「あんたかい?ラジオでぺらぺら喋ったというのは! みんなが迷惑しているんだ。どうゆうつもりで嗅ぎ回っているのか知らんが、生活がかかっている者もいるんだよ」
犬じゃあるまいし、嗅ぎまわってるなんて失敬じゃないか。こんどはこっちの頭に血が上った。
「子供たちが池の主と呼んでいた鯉が、全滅してしまったのです。100歳を超えた鯉もいたかも知れません。原因が分からないから心配なのです。
いいですか、鯉がいなくなっただけでは、すまないのですよ! この公園が壊れ始めているのです。役所は無関心だし、新聞は知らん振り。こんなことで本当にいいのですか!」
「あんたの言うことも分かる。俺だって鯉がいなくなってガッカリしているんだ。本当のことを教えてやるから、誰にも言うなよ」
と念を押しながら、一部始終を語り始めた。
その内容は経験した者でなければ語れない、多くの「事実」を含み、私の疑問は全て解消された。
「驚くべきこと」はその内容だが、いくらなんでもここに書く訳には行かない。しかし、「謎を解く」と読者に約束した以上、いつの日か書かなければならないだろう。
北国市北国公園の仕事は長い間カモカモ組が仕切っていた。しかし、2年前の入札でオオセグロ組が落札し、公園管理を新たに任されることになった。
北国公園百年の歴史の中で初めての、一般競争入札による管理者交代である。このような背景の中で「鯉の全滅事件」が起こった。
交替したばかりのオオセグロ組みにとっては降って沸いたような災難だった。これからの仕事に大きく影響するので、なんとしても隠し通したい。
死骸が浮いて来たのは交替したばかりの4月だが、鯉の全滅は凍結した氷の下で起こったこと。当時、公園管理をしていたカモカモ組に責任があるはずだ。オオセグロ組としてはこの点でも受け入れ難い出来事だった。
鯉の全滅は起こるべくして起こった。河川工事を請け負ったカラス組は河川工事実施予定を、カモカモ組など関係者に通知した。
アヤメ池は、この川から適量の水が流入することにより、池の生態系を維持してきた。しかし、工事により川水の供給が極端に減り、池の中の酸素が欠乏した。その結果、鯉が酸欠を起こし全滅したのである。
こんな事情だから、全滅事故当時の公園管理者であるカモカモ組も隠して置きたい。原因を作った河川工事のカラス組は、もちろん隠したい。
それだけではない。公園管理と河川工事の両方の監督官庁である北国市も隠したい。こうした背景があって「鯉全滅事件」は隠蔽することで、関係者による意思統一がなされた。後はマスコミ対策だけである。
新聞の記事を丹念に読めば分かることだが、マスコミは報道のかなりの部分を官庁に依存している。そうすることにより、取材費用を安く抑えることが出来る。大新聞といっても経営は楽ではない。購読者、広告で収入を確保する一方、支出も抑えなければならない。これを無視したら会社は成り立たない。
新聞と官庁は、場合によっては対立することもあるが、基本的には相互依存関係にある。官庁が特定の記事を抑えることはよくあることだと聞いている。今まで謎と思っていたことも、分かってみれば当たり前のことばかりだった。着任早々のC記者は積極的に取材を進めてきたが、ある日突然、豹変したことも事情が分かれば理解できる。
当初は新聞記者として積極的に行動した。しかし、上からの圧力を受けて、挫折したようだ。大きな新聞社に属していれば、沢山の読者に読んでもらうことが出来るし、生活も安定する。この地位を棄てられる記者は滅多にいない。これがドラマと現実の違うところだ。
最初に、C記者が公園事務所、北国市公園課を取材したときには、関係者の間で、既に隠蔽することが決まっていた。だから、そんな事実はないと直ちに否定した。普通だったら、大新聞の記者が取材に来たら「調べてみます」くらいは言うはずだ。
鯉の死骸を見た人がいないのは何故か? 一見、この疑問も残るような感じもする。しかし、真相は見た者はいるが、少なかったということだ。しかも、報道してくれる人が誰もいないのだから、見た人がいないと、同じことである。
マスコミに載らないことは無いに等しい。個人がいくら声を大にしたところで、信じる人はほとんどいない。私自身も、散歩のオバさんから「鯉が酸欠で全滅した」と聞いたときは、信じられなかった。その後、数日間池を見回り、多くの人から「見ていない」という情報を得て、初めて信じたのである。普通の人は、こんな面倒なことはしない。
目撃したオジさんは、こうも言っていた。「大きな鯉の死骸がゴロゴロ転がっていたので、ビックリしたが、こんなことは初めてなので写真を撮ろうと思った。家にカメラを取りに行き、戻ったら何もなかった。この間20分くらいだと思う」
トラックもゴミ収集車も来ていたと言う。この時期はまだ寒く散歩の人も少ない、20分程度では、偶然通りかかった人数も知れている。片付け作業に気付いたとしても、ほんの数人程度だろう。作業員は関係者だから口が堅いと思う。
状況から推測すると、鯉の死骸や片付現場を見た人は、ほんの僅かに違いない。全員が喋りまくったとしても、彼らの生の声が届く範囲は限られている。しかも信じる人は少ない。関係者が隠蔽できると判断したことも頷ける。
私は目撃者の3人と話したことになる。最初はオバさんから聞いた。そのときは鯉の全滅を信じなかった。次は目撃者のオジさん。記者に連絡しようとしたが、出来なかった。そして死骸を片付けるのを始めから終わりまで見ていた親分。87匹まで数えていたけど面倒になって止めたそうだ。
その他にも友人を通して、あるデパートの店員が沢山の鯉の死骸を見たことを聞いた。その人を加えると、目撃者の内4人を突き止めたことになる。私が直接聞いた三人の内二人の話は、その場に居た人しか語れない具体的な内容だった。彼らの話は今でも事実と信じている。