2013年09月13日

中島公園と共に歩む21世紀

中島公園:21世紀初頭に考えたこと

中島公園の歴史は札幌の歴史そのもの。札幌市の歴史が凝縮されている公園。貴重で珍しい中島公園。21世紀とは2001年から2100年までの100年間を指す。私が中島公園隣の共同住宅に転居したのは2001年、これも何かの縁と思う。

ホームページ開設10周年に当たり信頼できる友人の力を借りた。と言っても専門家ではなく普通の人。約1ヶ月、メールと口頭で「中島パフェ」の訪問者として助言をしてくれた。これがきっかけとなり「21世紀の中島公園」が誕生した。

現在の菖蒲池となる鈴木元右衛門堀が完成したのが1871年。あれから142年。21世紀こそ中島公園の時代になるだろう。そう信じて「21世紀の中島公園」の完成を夢見ている。2歩前進1歩後退、少しずつ前に進んでいる。

「21世紀の中島公園って、未来の話じゃなかったのか」
「いいえ、私が撮って書いて記録するのです」
「バカ言ってんじゃないよ。アンタ幾つになったんだ」
「そうですね。私に残された時間は少ない。それが辛いところです」
「辛いもなにも完成するわけないだろう」
「なせばなるなさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
「気持ちは分かるが出来ないこともあるよ」
「実は奥の手があるんですよ。名づけてオペレーション・マリッジ!」

「結婚作戦」のつもりだがこれでいいのかな? 「中島パフェ」を運営できるのは最長92歳までとしても後20年。どなたかに引き継いでもらう必要がある。方法はいろいろあるが、男女が結婚するような形で引き継げれば理想的だ。

「つまり男が女に惚れて結婚するようにか」
「どこかに『中島パフェ』に惚れてくれる人は居ないでしょうか」
「居るわけないよ。諦めな」
「代価は要りません。必要なのは中島公園に対する愛だけです」
「愛も金もないよ。絶対無理」
「3年くらいの交際期間は必要ですね。お互いに理解し合わないと…」
「アンタ、人のいうこと何も聞いてないね」

聞こえている。ただ一生懸命考えているだけだ。いずれにしろ惚れてもらえる様なサイトにしなければ貰い手は現れない。これだけは確かである。

21世紀に失われた景観

水と緑の中島公園の景観だが今でも失われ続けている。
惜しんでも惜しみきれない景観が失われていく。その一方で新しい命が育まれる。

ムクドリの木(ハルニレ) ← クリックすると本文表示、以下同じ

その大木は菖蒲池北側の島に立ち、ムクドリの巣があったのでこう記憶していた。
小さな島の大きな木。ときどき野鳥の巣になる優しい大木だ。

ランドマークの木(ポプラ)

今はなき百花園など古い写真を見るとき目印になった大きなポプラ。彫刻が現在どの位置にあるか調べるのに役に立つ。
藻岩山とポプラの見え具合で自分が立っている位置が古い写真の何処なのか分かる。
「母と子の像」はここにあったのだ、とか懐かしく感じさせてくれる有り難いポプラだが伐採されてしまった。

ちょっと寄り道:大ポプラと陸前高田市の「奇跡の一本松」

3月9日の報道によると陸前高田市で復元された「奇跡の一本松」のレプリカの枝葉が傾いていたことが分かり、
市は枝葉を取り外して作業をやり直すそうだ

被災者が未だに避難生活を続けている中で、一本松の保存に1億5千万円も使うことに疑問の声もある。
石碑やレリーフなどで代用できるのではないか、予算は被災者を直接支援する為に使えという声である。

<<時代と時代を繋ぐ役目を果たしているランドマーク>>
中島公園で伐採された大きなポプラはランドマークの役目を果たしていた。
画像、やや右側に直立しているポプラは札幌コンサートホール・キタラの前にあった。

このポプラがあることで、ここが中島公園ほぼ中央の芝生の広場(香の広場)であることが分かる。
百花園があった古き良き時代の中島公園と現在の「香の広場」やキタラとの位置関係が一目で分かるのだ。
藻岩山だけでは正確な方向が分からない。ランドマークとしての大木の存在は大きいと思う。

鴨々川ヤナギ並木

軒並み切られた柳並木。2002年10月2日の台風第21号の後、危険木と診断され伐採された。
2年後の台風第18号で倒れた木々も多く、更に減る。

行啓通のポプラ並木

2004年に襲った台風第18号で人気のポプラ並木は倒壊。
行啓通両側の見事なポプラ並木は見る影もなく破壊され未曾有の大被害。
STVどさんこワイドで「台風18号の猛威」として年末特別番組でも報道された地下鉄幌平橋駅前。

「中島パフェ」の活動記録

活動記録 ← クリックすると活動記録を表示

60代のときは中島公園に関することなら頼まれれば何でも引き受けた。
70代になってからは、その経験を生かしながらHP「中島パフェ」の更新に専念した。
活動記録は2012年までをまとめ、21世紀の記録へと繋ぐことにしたいと思っている。


思い起こせばいろいろあった。主なものを羅列するとFMラジオカロスの山鼻地域番組に4年、
道新コラム「朝の食卓」執筆2年、会報誌KitaraClubに写真掲載2年、山鼻新聞編集委員4年など。

そして、新聞・テレビ・情報誌取材協力、いずれも中島公園に関する情報発信。
鴨々川・彫刻清掃、中島公園案内、その他いろいろ中島公園に関するボランティア活動に参加した。

今も継続しているものもあるが、重点は「中島パフェ」の更新に移っている。
それでも追いつかないほど中島公園は奥が深い。ライフワークにするつもりだ。

21世紀の中島公園-3

21世紀の中島公園出来事メモ集

21世紀、すなわち、2001年から現在までの中島公園で起こったイベントその他の出来事の概略を記したメモ。
「中島パフェ」トップページに「中島公園ニュース」として掲載したものをメモとして纏めた。
1件2行程度のメモが殆どだが、10年以上となれば、それなりの価値はもつ。継続が大切だと思っている。

中島公園ガイド 出来事メモ ← こちらをクリックすると表示


当時のフリマ(フリーマーケット)は混んでいた。2001年10月21日

写真で見る「変わる中島公園」この10年の変化

2013年3月25日で「中島パフェ」開設10年になった。
現在と10年前とどのくらい違うか、画像を並べて比べてみた。
新たに植えられた木々、花壇等もあるが、台風による木々の倒壊が景観に影響を及ぼしている。

ほとんどの景観は、一旦破壊されても数年で元に戻るというか、慣れてしまう。
しかし、幌平橋駅近くの*行啓通ポプラ並木だけは別だ。
戻るどころか、その気配さえ見えない。惜しいことをしたものだ。


札幌コンサートホールへの園路は緑豊かだった。2001年10月27日

クリック! → 2003年2月10日 北側出入口のロードヒーティング
札幌コンサートホールへ向かう全ての園路はロードヒーティング。
クリック! → 2003年1月11日 中州橋付近の鴨(マガモ)の群れ
2007年完成の鴨々川導水管布設工事の前はマガモが群れていた。

21世紀の月別中島公園(月刊中島公園集)

中島公園21世紀の月別記録 ← クリックすると表示

毎月、風景・イベント・動物などの月別情報として纏めている。
21世紀すなわち2001年から2100年までの情報をここに載せたい。
しかし、人には寿命がある。私の代では不可能だから何方かに引き継いでもらいたいと思っている。


ゆきあかりin中島公園 2013年2月8日〜10日 九条広場(メイン会場)

出来ることは21世紀の中島公園を記録すること

必要とされるのは生きた記録。それが集積されて整理され正しい歴史となる。
私には撮り貯めた写真と、そのときの記憶がある。写真と共に自分が感じたことを記す。
これが自分が残せる唯一の歴史的資料と考えている。

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posted by H.Ishikawa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 21世紀総合
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