2015年1月1日 元旦

画像クリック=拡大 表示が変わったら更にクリックで拡大確認。 水天宮上空の空。
元旦の空は晴れ渡っていた。鳩の群れがが統一的な動きをすると、ターンした時にキラキラ輝いて、大空に動的な美しさを描いてくれる。それを期待したのだが鳩は注文通りには飛んでくれなかった。乱れに乱れて衝突しないのが不思議なほどだ。
以下、「中島公園三十三銭:中島公園管理事務所」より引用。
1879(M12)年頃、旧久留米藩士水野源四郎が、故郷久留米の水天宮の御分霊を札幌に勧請したが、市内を転々とし、ようやく1889(M22)年に現在地に社殿を建立したものである。向かって右の祠が稲荷大明神、左が白峯大明神となっている。

弥彦神社(伊夜日子神社、いやひこじんじゃ)
正式には弥彦で伊夜日子は読むための当て字らしい。元旦には初詣の人々で行列ができる。弥彦神社と水天宮は昔から同じなだが、護国神社は名前がいろいろ変っているので何時が創建か難しい。その他に多賀神社があり、中島公園に隣接して4社もあるのだ。多賀神社については最近まで護国神社の一施設と思っていたが認識を新たにした。去年が65周年だそうだ。
以下、「中島公園三十三銭:中島公園管理事務所」より引用。
札幌は新潟の出身者が多く、新潟にある越後一宮の弥彦(伊夜日子いやひこ)神社の分霊を得て1912(M45)年1月に弥彦神社を創建した。弥彦神社には、天照大神の曾孫(ひまご)天香山命(あめのかぐやまのみこと)を祀っていたが、1986(S61)年には大宰府天満宮からの御分霊を得て増祀している。
札幌護国神社
屯田兵招魂碑は北の偕楽園にあったが、手狭になったため、1907(M40)年に中島に札幌招魂社を建立。昭和に入って現在地に拡張移設し、1939(S14)年に札幌護国神社と改称している。境内には、偕楽園にあった屯田兵招魂碑を初め、各種の慰霊碑が集まっている彰徳苑がある。

菖蒲池の南側はキタラに近い。鴨々川は中洲橋でキタラ裏側を流れる鴨々川本流と、キタラ広場前を流れる分流とに分かれる。分流は菖蒲池に注ぐ(画像)。その関係で凍結するのは北側より遅い。ところが今冬は南側から凍結しだした。原因は川から流れる水量が少なかったことと思う。菖蒲池北側から流れ出た水は中島児童会館の下を流れ水天宮橋の手前で本流と合流する。

鴨々川は地下鉄幌平橋駅裏から行啓通に沿って流れ南14条橋をくぐって中島公園に入る。冬期間にかぎるが、鴨(マガモ)が一番多いのは幌平橋駅裏、そして駅に近いこの辺りでも鴨が見を見かける。夏場は菖蒲池に居る。
遊戯広場(ちびっ子広場)。ブランコも滑り台もない。木々の様に冬囲いされるのだ。それでも遊びたい人は居る。
「シーソーがあるじゃないか!」と言ってるのかも知れない、たくましく前向きな親子。
2015年1月3日
以下、「中島公園三十三銭:中島公園管理事務所」より引用。
Kitaraから豊平館、日本庭園の一帯は、明治時代に岡田花園があり、園亭を構えて園遊会場としての機能を持っていた。庭園の築山の名残が、現在天文台のある小山で、岡田山の名で親しまれている。天文台は北海道大博覧会のあと、1958(S33)年に建設されている。
2015年1月5日
以下、「中島公園三十三銭:中島公園管理事務所」より引用。
大正時代から人形劇や童話会の伝統があったが、1953(S28)年から児童会館で人形劇や腹話術が始められ、日曜子供劇場に発展していった。1976(S51)年、専用の人形劇場を開設し、こぐま座と名付けられて現在に至っている。
2015年1月7日
2015年1月11日
2015年1月14日
以下、「中島公園三十三銭:中島公園管理事務所」より引用。
公園内に設置されている広場で、まさに自由な使い方ができるため、春の園芸市や札幌祭りの出し物、メーデーなど各種の集会、さっぽろ元気まつり、フリーマーケットなど、年間を通じて様々な催し物が行われている。
公園内に設置されている広場で、まさに自由な使い方ができるため、春の園芸市や札幌祭りの出し物、メーデーなど各種の集会、さっぽろ元気まつり、フリーマーケットなど、年間を通じて様々な催し物が行われている。
2015年1月22日 大雪の後
2015年1月23日
札幌コンサートホール・キタラ、タクシー乗り場。白黒の世界に彩を与えてくるる夜の照明。
2015年1月25日
2015年1月29日
文学館前にヒョットコが、タコ八も上にいる。歩くスキーをしてる人も。こんな風景もいいものだ。
2015年1月31日
2015年1月のまとめはこちら → 「中島パフェ」の中島公園新着情報1月分一括表示
もうすぐ「ゆきあかりin中島公園」(チラシ)
このチラシを読めばイベントの全てが分かる。小さくて読めない字もあるが画像をクリックすれば読めるようになる。