2013年09月30日

2013年9月の中島公園



中島公園の風景はそこで遊び憩う人達がいて、初めて完璧になる。

2013年9月2日 平成25年度中央区防災訓練

「安心は日々の備えから」ということで中央区防災訓練が中島公園自由広場を中心に行われた。
洪水時に浸水の恐れのある豊平川沿いで暮らす人々にとっては、とても大切な訓練。
もちろん地震に対する備えも重要である。

ただ地域の特性から考えると豊平川あっての中島公園であることを忘れてはならない。
しかも豊平川支流の鴨々川と菖蒲池その他、全ての水系が繋がっている。
その意味では中島公園を守る為に欠かせない訓練ともいえる。


弥彦神社横では「負傷者搬送訓練」や「応急担架作成訓練」等を実施。
若い時に参加した消防訓練で、油火災の部屋に突入したことを思い出した。

大勢の人がホースを持って突入する。先頭の人がホースを操作して霧状の水を火にかける。
その後ろの人は別なホースで先頭の人に水をかける。その後ろにホースを支える人が続々と続く。
それぞれの役を順番でこなすのだ。

その時は熱いよりも目が痛く涙がポロポロ出て、鼻水が出っぱなしだったことを思い出す。
タオル一枚がいかに大切かも理解した。50年以上前のことだが今でもハッキリと覚えている。
防災に関しては実際と似た訓練が大切と思う。


自由広場で「給食・給水訓練」も実施。給食はドライカレーとパン、給水は飲料水。


日本庭園のムクゲが咲くと、もうじき紅葉の季節だなと思う。

2013年9月3日 子供たちの遊び場、除草作業


なだらかな坂がある天文台は子供達に人気がある遊び場。雪が積もればソリ滑り、1年中遊び場になっている感じだ。
天文台は入場無料。


児童会館、人形劇場、遊技広場と並ぶエリアはお子様ゾーン。
ベンチには「喫煙はご遠慮ください」との掲示が貼り付けてある。


ここは菖蒲池西岸中央。ところで昔は、大きな施設として中島球場や中島スポーツセンターがあった。
そこは現在、緑のオープンスペースとなっている。中島公園全体で考えると除草するエリアも相当増えたと思う。

2013年9月5日 菖蒲池の色は豊平川と同じ色


この日の菖蒲池は茶色っぽい、時にはもっと茶色く濁る。池の水は豊平川から流れてくるので、色は豊平川と同じだ。
大雨が降ったりすれば茶色くなる。

新聞の投書欄に「中島公園の池や川の水の濁り方が普通ではない」と当局の対策を求める意見があった。
僭越ながら当局に成り代わり回答したい(笑)。

「必ずきれいにします。三日待ってください」。
ただし、カンやポリ袋などのゴミは別である。水を濁らした容疑は豊平川? ゴミ持ち込犯は人間。

「犯人などと失礼だぞ! 美観を考えてキチンと縛って置いてきたのだ」
「それでもダメ! 『散らかし犯』もいるのです」
「悪いのはそいつだ。逮捕しろ!」
「できません」
「なぜだ!」
「カラスです」


豊平館前の池。この池にも名前があると便利だ。菖蒲池とこの池の境に架かる橋にも名前がない。
豊平池と豊平橋と付けたらどうだろう。芸がないが名無しよりはまし。
しかし一旦付けてしまうと変える訳にも行かないので難しい。

2013年9月6日 雨に降られて鶴になる


札幌彫刻美術館友の会のボランティアが「鶴の舞」の補修作業をしている。
先ず彫刻をきれいに洗うことだが、それは済んだ。次はコーティングだが晴天の日にしか出来ない。
この日が作業予定日だったが雨になってしまった。

たまたま彫刻巡りをしている小学生が来たので、偶然の機会を利用して会員が「鶴の舞」の説明。
アイヌの踊りで鶴の舞があるらしい。着物を両手で広げて鶴の格好をするそうだ。
鶴に見えない彫刻だったが、そう聞いて納得した。鶴ではなく鶴の舞なのだ。

2013年9月8日 花壇と吹奏楽コンクール


ここは駐輪場ではないのに自転車が沢山止めてあった場所。当局はいろいろ工夫したようだが駐輪は続く。
2年前に花壇が出来て難問解決。


第58回北海道吹奏楽コンクール、小学校、職場、一般、大学などが参加。

2013年9月9日 文学館で宮崎駿に関する特別展


宮崎駿が現代ファンタジーの源泉を紹介。

2013年9月11日 キタラから文学館へ楽しい散歩道


キタラから菖蒲池南側河口の橋を渡り、少し池沿いに歩くと右手に花壇(画像)が見える。
道なりに行くと彫刻「猫とハーモニカ」「鶴の舞」、そして東屋、「笛を吹く少女」と続く。
その間、道の両側にいろいろな花が咲いているので、歩いていても楽しい。
幅広の園路を渡ると突き当たりに文学館がある。

2013年9月17日 水と緑の中島公園


水と緑が訪れる人の気持ちを和ませてくれる。札幌コンサートホール・キタラ前広場を越えると小川がある。
この川から菖蒲池へと水が流れる。


福岡市東区に「海の中道」がある。
ここは「池の中道」なぜならば進行方向の左側は菖蒲池、右側に日本庭園の池がある。しかも藤棚付き。

2013年9月18日 藻岩山の景観、彫刻補修、防災訓練


「香の広場」から見える藻岩山。山が一番美しく見えるのは仰角8度と言われている。
中島公園はまさにその位置にある。高層ビルが3棟建ち藻岩山が隠れそうだが何とか見えている。
幸いこの12年間高層ビルは建っていない。


8月10日から始めた補修作業だが、ようやくパーマシールドによるコーティングが出来る天気になった。
塗っては乾かす作業を繰り返すコーティングは、晴れていなければできない。
好天に恵まれ「鶴の舞」の補修作業は完了した。


「どなたか身体の具合が悪い方はいらっしゃいませんか〜」と女性の声が聞こえた。
振り返ると札幌コンサートホール・キタラで防災訓練中だった。

2013年9月21日 樹木名プレート整備が進んでいる


中島公園での樹木名プレート整備が進んでいる。樹木名を見ながらの散歩は勉強にもなる。
それに馴染みの樹木の名を知ることは楽しい。

2013年9月22日 安田侃と山内壮夫の彫刻


札幌コンサートホール・キタラの前が広場、その手前にキタラのシンボル「相響(安田侃)」。
そしてその手前に川が流れている。


「今年は『笛を吹く少女(山内壮夫)』がバラの花に埋もれている」と、感じるほど沢山のバラが咲いた。
周囲の変化で彫刻も違って見えるから面白い。

2013年9月23日 水と緑の陰にキタラ、白い体育センター


菖蒲池にマガモ、その向こうは緑の木々、更に向こうにキタラがある。


あの白い建物は何だろう? 実は外壁工事中の中島体育センター。

2013年9月27日 久しぶりにオシドリが来た


オシドリはときどき来ているようだが私が見たのは今年初めて。

2013年9月29日 小さい秋見つけた


菖蒲池北側にある小さな中島だが少し紅葉している。



中島公園の出来事・風物詩

9月のイベント、風物詩などを紹介。
初めての防災訓練があり、ボランティアによる「鶴の舞」の補修作業があった。

2013年9月2日 中央区防災訓練 

9月1日の防災の日に合わせて防災訓練が2日9時30分から実施。
場所は中島公園自由広場と体育センタと弥彦神社の間の幅広い園路。
訓練参加者は全体で1,240人。

防災情報展示コーナー


水没ドア開閉体験。浸水状態では水圧のためドアの開閉が如何に困難か体験。


水防工法訓練


給食・給水訓練。日赤奉仕団のドライカレーは美味しかった。
非常食として温かいパンがあるのに驚いた。災害に水は欠かせない。

初めて見学した防災訓練だったが、とても勉強になった。
本格的に参加して体験を積めば災害時に役に立つと思う。


実際に煙の中に入る訓練もあった。

2013年9月3日 ベンチに禁煙呼びかけ


ちびっ子広場付近は禁煙。

2013年9月5日 変わる菖蒲池の色


鴨々川は豊平川の支流、大雨時は豊平川から濁った水が流れ込む。


そして菖蒲池にそそぎ池は茶色になる。


こぐま座前のちびっ子広場。

2013年9月6日 「鶴の舞」補修作業


札幌彫刻美術館友の会のボランティア。

2013年9月8日 北海道吹奏楽コンクール


混雑するキタラ・エントランス前。


「相響」前で記念撮影。


自由広場では恒例のフリマ開催。

2013年9月9日 青い空と白い雲


札幌護国神社


地下鉄幌平橋駅近くを流れる鴨々川。


中州2号橋付近で撮影。

2013年9月11日 中島公園駅3番口


カラスが多いので注意!


地下鉄3番口付近で遊ぶ「町の子」ら。

2013年9月17日 初秋の中島公園


藤棚のある園路脇。


中州2号橋付近。


菖蒲池西岸中央付近。


天文台の坂下付近の園路。

2013年9月18日 彫刻のコーティング


「鶴の舞」の劣化防止のためにコーティングを行った。
先ず事前の準備、バラを痛めないように袋で覆う。


コーティングはパーマシールドで行う。
予め念入りに清掃された「鶴の舞」に何回も上塗りを重ねる。
この日は絶好のコーティング日和。つまり晴れである。


偶然、彫刻探訪に来た小学生に「鶴の舞(山内壮夫)」の説明をする。


塗って乾かす、そして塗って乾かすの繰り返し。
ヒマなときに林を散歩するとナナカマドの実が色付き始めていた。もっと赤くなる。


キタラでは防災訓練実施中。

2013年9月21日 「相響」キタラのシンボル

2013年9月22日 ポプラ・花壇・駐輪場


地下鉄幌平橋付近のポプラ並木。


「香の広場」菖蒲池側の花壇。


地下鉄幌平橋駅前駐輪場

2013年9月23日 文学館まつり


道立文学館で「文学館まつり」開催。
常設展「北海道の文学」無料開放、こども広場「紙工作コーナー」「釣り堀こーなー」、
文学館演芸場、ギャラリー文学館などいろいろ。


中州3号橋付近の鴨々川。


無風の菖蒲池は鏡のようだ。

2013年9月27日 野鳥三題


オシドリ夫婦? ともかく雌と雄。


マガモの行進。


「カラスの死骸を見たことないのですが、カラスは死なないのですか?」
との質問がネットに載っていたので、あえて掲載。

2013年9月29日 秋景色


自由広場と近くの園路でフリマ。


日本庭園

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2013年09月13日

中島公園と共に歩む21世紀

中島公園:21世紀初頭に考えたこと

中島公園の歴史は札幌の歴史そのもの。札幌市の歴史が凝縮されている公園。貴重で珍しい中島公園。21世紀とは2001年から2100年までの100年間を指す。私が中島公園隣の共同住宅に転居したのは2001年、これも何かの縁と思う。

ホームページ開設10周年に当たり信頼できる友人の力を借りた。と言っても専門家ではなく普通の人。約1ヶ月、メールと口頭で「中島パフェ」の訪問者として助言をしてくれた。これがきっかけとなり「21世紀の中島公園」が誕生した。

現在の菖蒲池となる鈴木元右衛門堀が完成したのが1871年。あれから142年。21世紀こそ中島公園の時代になるだろう。そう信じて「21世紀の中島公園」の完成を夢見ている。2歩前進1歩後退、少しずつ前に進んでいる。

「21世紀の中島公園って、未来の話じゃなかったのか」
「いいえ、私が撮って書いて記録するのです」
「バカ言ってんじゃないよ。アンタ幾つになったんだ」
「そうですね。私に残された時間は少ない。それが辛いところです」
「辛いもなにも完成するわけないだろう」
「なせばなるなさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
「気持ちは分かるが出来ないこともあるよ」
「実は奥の手があるんですよ。名づけてオペレーション・マリッジ!」

「結婚作戦」のつもりだがこれでいいのかな? 「中島パフェ」を運営できるのは最長92歳までとしても後20年。どなたかに引き継いでもらう必要がある。方法はいろいろあるが、男女が結婚するような形で引き継げれば理想的だ。

「つまり男が女に惚れて結婚するようにか」
「どこかに『中島パフェ』に惚れてくれる人は居ないでしょうか」
「居るわけないよ。諦めな」
「代価は要りません。必要なのは中島公園に対する愛だけです」
「愛も金もないよ。絶対無理」
「3年くらいの交際期間は必要ですね。お互いに理解し合わないと…」
「アンタ、人のいうこと何も聞いてないね」

聞こえている。ただ一生懸命考えているだけだ。いずれにしろ惚れてもらえる様なサイトにしなければ貰い手は現れない。これだけは確かである。

21世紀に失われた景観

水と緑の中島公園の景観だが今でも失われ続けている。
惜しんでも惜しみきれない景観が失われていく。その一方で新しい命が育まれる。

ムクドリの木(ハルニレ) ← クリックすると本文表示、以下同じ

その大木は菖蒲池北側の島に立ち、ムクドリの巣があったのでこう記憶していた。
小さな島の大きな木。ときどき野鳥の巣になる優しい大木だ。

ランドマークの木(ポプラ)

今はなき百花園など古い写真を見るとき目印になった大きなポプラ。彫刻が現在どの位置にあるか調べるのに役に立つ。
藻岩山とポプラの見え具合で自分が立っている位置が古い写真の何処なのか分かる。
「母と子の像」はここにあったのだ、とか懐かしく感じさせてくれる有り難いポプラだが伐採されてしまった。

ちょっと寄り道:大ポプラと陸前高田市の「奇跡の一本松」

3月9日の報道によると陸前高田市で復元された「奇跡の一本松」のレプリカの枝葉が傾いていたことが分かり、
市は枝葉を取り外して作業をやり直すそうだ

被災者が未だに避難生活を続けている中で、一本松の保存に1億5千万円も使うことに疑問の声もある。
石碑やレリーフなどで代用できるのではないか、予算は被災者を直接支援する為に使えという声である。

<<時代と時代を繋ぐ役目を果たしているランドマーク>>
中島公園で伐採された大きなポプラはランドマークの役目を果たしていた。
画像、やや右側に直立しているポプラは札幌コンサートホール・キタラの前にあった。

このポプラがあることで、ここが中島公園ほぼ中央の芝生の広場(香の広場)であることが分かる。
百花園があった古き良き時代の中島公園と現在の「香の広場」やキタラとの位置関係が一目で分かるのだ。
藻岩山だけでは正確な方向が分からない。ランドマークとしての大木の存在は大きいと思う。

鴨々川ヤナギ並木

軒並み切られた柳並木。2002年10月2日の台風第21号の後、危険木と診断され伐採された。
2年後の台風第18号で倒れた木々も多く、更に減る。

行啓通のポプラ並木

2004年に襲った台風第18号で人気のポプラ並木は倒壊。
行啓通両側の見事なポプラ並木は見る影もなく破壊され未曾有の大被害。
STVどさんこワイドで「台風18号の猛威」として年末特別番組でも報道された地下鉄幌平橋駅前。

「中島パフェ」の活動記録

活動記録 ← クリックすると活動記録を表示

60代のときは中島公園に関することなら頼まれれば何でも引き受けた。
70代になってからは、その経験を生かしながらHP「中島パフェ」の更新に専念した。
活動記録は2012年までをまとめ、21世紀の記録へと繋ぐことにしたいと思っている。


思い起こせばいろいろあった。主なものを羅列するとFMラジオカロスの山鼻地域番組に4年、
道新コラム「朝の食卓」執筆2年、会報誌KitaraClubに写真掲載2年、山鼻新聞編集委員4年など。

そして、新聞・テレビ・情報誌取材協力、いずれも中島公園に関する情報発信。
鴨々川・彫刻清掃、中島公園案内、その他いろいろ中島公園に関するボランティア活動に参加した。

今も継続しているものもあるが、重点は「中島パフェ」の更新に移っている。
それでも追いつかないほど中島公園は奥が深い。ライフワークにするつもりだ。

21世紀の中島公園-3

21世紀の中島公園出来事メモ集

21世紀、すなわち、2001年から現在までの中島公園で起こったイベントその他の出来事の概略を記したメモ。
「中島パフェ」トップページに「中島公園ニュース」として掲載したものをメモとして纏めた。
1件2行程度のメモが殆どだが、10年以上となれば、それなりの価値はもつ。継続が大切だと思っている。

中島公園ガイド 出来事メモ ← こちらをクリックすると表示


当時のフリマ(フリーマーケット)は混んでいた。2001年10月21日

写真で見る「変わる中島公園」この10年の変化

2013年3月25日で「中島パフェ」開設10年になった。
現在と10年前とどのくらい違うか、画像を並べて比べてみた。
新たに植えられた木々、花壇等もあるが、台風による木々の倒壊が景観に影響を及ぼしている。

ほとんどの景観は、一旦破壊されても数年で元に戻るというか、慣れてしまう。
しかし、幌平橋駅近くの*行啓通ポプラ並木だけは別だ。
戻るどころか、その気配さえ見えない。惜しいことをしたものだ。


札幌コンサートホールへの園路は緑豊かだった。2001年10月27日

クリック! → 2003年2月10日 北側出入口のロードヒーティング
札幌コンサートホールへ向かう全ての園路はロードヒーティング。
クリック! → 2003年1月11日 中州橋付近の鴨(マガモ)の群れ
2007年完成の鴨々川導水管布設工事の前はマガモが群れていた。

21世紀の月別中島公園(月刊中島公園集)

中島公園21世紀の月別記録 ← クリックすると表示

毎月、風景・イベント・動物などの月別情報として纏めている。
21世紀すなわち2001年から2100年までの情報をここに載せたい。
しかし、人には寿命がある。私の代では不可能だから何方かに引き継いでもらいたいと思っている。


ゆきあかりin中島公園 2013年2月8日〜10日 九条広場(メイン会場)

出来ることは21世紀の中島公園を記録すること

必要とされるのは生きた記録。それが集積されて整理され正しい歴史となる。
私には撮り貯めた写真と、そのときの記憶がある。写真と共に自分が感じたことを記す。
これが自分が残せる唯一の歴史的資料と考えている。

posted by H.Ishikawa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 21世紀総合