2008年08月31日

2008年8月の中島公園

中島公園2008年8月

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中島公園の夏も「北海道マラソン」と共に終了。 振り返ってみるば「豊平川花火大会」は天候に恵まれ盛況。 
「さっぽろ元気まつり」は二日間雨にたたられた。 6組、50羽の子ガモで賑った。 久しぶりに鯉も現れた。 
日本庭園で復元工事中の八窓庵、倒壊したままの東屋。 それぞれ再建も近い思う。  8月31日更新

1頁:2008北海道マラソン8月31日

 

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←女子のトップ

マラソン詳細は→ 北海道マラソン(公式ページ)
今年の北海道マラソンは参加者5,300人と最多だが、見物人は少ないような気がした。
中島公園に一番先に到着する参加者は、体調を崩した人たちだ。

バスに乗って来る。14時ちょと過ぎたころ、バスが2台到着した。

用意周到。救急スタッフが待ち構えている。

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中島公園のフィニッシュ

体調を崩した参加者をバスで収容


 

2頁:8月上旬の中島公園

 

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←中島公園菖蒲池、水面に水鳥の描くトレイル

8月2日、中島公園の紫陽花は池や川の水辺に咲いていることが多い。 そろそろ紫陽花の季節も終わりに近い。

「第3回さっぽろ元気まつり」は2日、3日両日とも雨にたたられた。 

来年こそ晴れてほしい。 そうしないと元気がなくなってしまうかもしれない。

8月4日、鴨々川河川工事も終わり、水量が5倍に増えた。勢いよく流れる川と紫陽花のコンビネーションがいい。

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「元気まつり」準備万端の自由広場

札幌コンサートホール・キタラ近くの鴨々川


 

3頁:8月中旬の中島公園

 

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←札幌コンサートホール・キタラ エントランス

8月7日、「すすきの祭り」の帰り、キタラの前を通った。 美しいと思ったので、夜のキタラを撮ってみた。 

8月13日、地下鉄幌平橋駅前広場が徐々に整備されてきている。新しい花壇も設けられた。

8月17日、去年から売店ミドリの経営者が若い人に変わったそうだ。 そのせいかお店に活気が出てきたようにみえる。新しい試みが目立つようになった。

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地下鉄幌平橋駅前広場

早朝の売店Midori、開店前


 

4頁:8月26日の中島公園-1

 

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←中島公園のほぼ中央の芝生の広場

8月26日
中島公園はカラスの多い公園だ。 エサやりもカラスの増加に一役買っていると思う。
カモにエサをやろうとすると、カラスも鳩もカモメも寄ってくる。 

今年から「小動物へのエサやりはやめましょう」と書いた立て看板が要所に立てられたが守らない人も多い。
中島公園は丸ごと庭園みたいな公園なので手入れも大変だと思う。

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豊平館前の池、向こう側は天文台

札幌コンサートホール・キタラ近くの鴨々川沿い


 

5頁:8月26日の中島公園-2

 

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←左、石庭。右、倒壊した東屋の土台

8月26日
日本庭園の東屋は今年の冬、雪の重みで倒壊、土台だけが残った。 こうして見るとスッキリした感じだ。この風景も長くは続かないだろう。
菖蒲池に看板が立った。 この池の名前を知らない人が多いので、良いことと思う。 ついでに、まだ名前の付いていない橋にも名前を付けてほしい。 たとえば売店ミドリのそばの橋、豊平館のそばの橋など。
お馴染みのキタラのシンボル「相響」を裏からみるとこんな感じ。

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2008年8月、新たに設置された『菖蒲池」の看板

小川の向こうに彫刻「相響」更に向こうにキタラ


今月の一枚  観覧席からの眺め

 

観覧席から撮った写真。 右がゴール、左に見える大画面に到着した選手が写っている。

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管 理 人 の つ ぶ や き

 平和と民主主義はどこへ

昭和20年8月15日は無謀な戦争に終止符が打たれた日である。 歴史を知らない者は同じ過ちを繰り返すという。 一旦、戦争が始まれば自然も、環境も、公園も人間も、何もかもお仕舞いだ。

中島公園を良好な状態に維持して、次世代に引き継ぐためのウェブサイト「中島パフェ」も1年に一度くらいは過去を振り返ってみたい。 

平和があってこその中島公園である。戦争になれば、公園は芋畑や練兵場になってしまうのだ。


(昭和20年4月)

出撃気配ノ濃密化トトモニ、青年士官ニ充満セル煩悶、苦悩ハ、夥シキ論争ヲ惹キ起サズンバヤマズ

艦隊敗残ノ状スデニ蔽ヒ難ク、決定的敗北ハ単ナル時間ノ問題ナリ 

何ノ故ノ敗戦ゾ 如何ナレバ日本ハ敗ルルカ


「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ、 

日本ハ進歩トイフコトヲ軽ンジ過ギタ 

私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、本當ノ進歩ヲ忘レテヰタ 

敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ

今目覚メズシテ イツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 

日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサ二本望ヂヤナイカ」


彼、臼淵大尉ノ持論ニシテ、マタ連日「ガンルーム」二沸騰セル死生談義ノ一応ノ結論ナリ 

敢ヘテコレ二反駁ヲ加へ得ル者ナシ (「戦艦大和ノ最後」吉田満) 


著者によると、「臼淵大尉は三島由紀夫と似た都会育ちの俊才で、生来多分の稚気と洒落っ気を備え、芸術好き、哲学好きの香気を身に着けた兵学校出身の青年」。 

妹への手紙で「一人の女性を60歳70歳まで愛するのが本当の愛だ」と語った臼淵大尉は、21歳の若さで戦艦大和の副砲分隊長として戦死した。

この本が書かれたのは私が小学生のころ。当時は好戦的だと批判を受けた。 比べてみれば今は滅茶苦茶に好戦的な世の中だ。 平和ボケと言ってもいい。あまり深く考えなくなったと思う。

政治家が戦争の出来る「普通の国」になりたいと堂々という。敗れて目覚め平和国家にはなったが、長続きはしなかった。 戦争の悲惨さも理不尽も徐々に薄れて行ってしまった。

政治家が平和と福祉を口にしなくなって久しい。個人にとって最も大切な「命の保障」が選挙で票にならないのだから不思議だ。 

軍備で命が守れないことは歴史が証明している。 一方、軍備抜きで平和を守れる保証もない。 大いに議論されるべきことが、ほとんど議論されずに、既成事実だけを積み上げて行く。

こんなことでいいのだろうか。「平和と民主主義、自由と平等」が大切と教えられ、そう信じて来た私は、いつのまにか時代の変化について行けない古い人間になってしまった。

(中島公園deエッセイsay! 2008年7月24日より抜粋)

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札幌護国神社にある「北海道全海軍英魂の碑」

贈 住友重機械工業株式会社浦賀造船所

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posted by H.Ishikawa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 8月の中島公園